
共同制作「壁画・新緑を描く」 ー 身体の時間とかたち ー
私たちは同じ体験、同じ環境の中でも全く異なった経験として長い時間、自分をかたち創ってきました。
そんな異なる人格の共同制作とは?
私たちはバラバラなのでしょうか?同じ方向を向きたいだけなのでしょうか?人と違っていることを確かめながら、真剣に生きて来ました。いつから私たちは共同と言う言葉を使うようになったのでしょう。もともと異なる経験、異なる人格、異なる心が生まれながらにあるにもかかわらず、同じと言うことを意識したり、違うと言うことを意識したり、目的がある時だけ共同で行うのでしょうか?
人を受け入れるとはどういうことでしょう?共に生きるとはどういうことでしょう?必ずしも共存できるとは限らない。それでもすでに共存しているという事実があり、より良い方向を考えたり。それはどんな立場で?
何を感じて、どんな思いで私たちの身体は動くのでしょう。どうしても明快な答えの方に偏ってしまいがちです。
今回、珍しく真剣に壁画に向かいたいと思いました。何に対して?
自分を解放すると言うことを心のどこかにいつもおきながら様々なことを真剣にやってきたように思います。しかし、心は生まれながらに既にあると想う。解放するのは身体かもしれない。
自分と身体は共存できるのでしょうか?ギャラリーの壁に皆さんと同じ時間を異なる体験として過ごしてみたいと想います。













